デジタルカメラ / フィルムカメラ共に、重視しているポイントは機動力で、じっくりピントを合わせるのもいいけれど、やっぱりオートフォーカスでなるべく早くピントを合わせるのが今の自分には合っていると感じる今日この頃。
というのも、普段のスナップ撮影や仕事としてのライブ撮影等で、最も重視しなければならないのが「一瞬を捉える力」だからです。特にライブ撮影なんかは秒でシーンが変わっていくので、1秒たりとも目が離せない。なので、カメラの機能でいうとこの場合については機動力が最も大切になっていきます。

それじゃあ、カメラに対して「人」はどうだろう?
カメラの機能ばかりに頼っては元も子もないし、そもそも、人の持つ経験や能力がないとシャッターボタンは押せないと思います。

そもそも、何故こんな文章を書こうと思ったか。
それは、ある写真集を見てようやく気づいたことがあったからです。

濱田英明『DISTANT DRUMS』
奥山由之『坩堝の電圧』

簡単に説明すると、前者は街角の風景を、後者はロックバンド(くるり)のライブ風景やオフの様子を納めた写真集で、共通するのはいわば「スナップ写真」であること。

『DISTANT DRUMS』は主に中判フィルムカメラのPENTAX 67Ⅱを、『坩堝の電圧』は高感度の写ルンですやコンパクトフィルムカメラ(CONTAX T2?)を用いて撮影されたと思います。どちらもオートフォーカスです(写ルンですは厳密には違うけど)。
両者ともスナップ写真であり、撮りたいシーンに立ち会った時、瞬間的に対応できるかどうかが鍵を握ります。歩く人や走る車の動き、予測できない子供の動きや道を行く猫、空の色など、一瞬たりとも逃せなくて、次の瞬間には別の景色になっていることも多々あるので。

そうです。私が気づいたこと。
それは、あっという間に過ぎ去るささやかな「偶然」に気づけるかどうか。
そして、気づけた瞬間にちゃんと対応できるかどうか。
わずか数秒間の世界に重要なことが詰まっているのかもしれないと、写真集を観ながら思いました。

同じような日常など実はなくて、その中に潜んでいる違和感やハッとした瞬間、読んで文字の如くあっという間に過ぎ去るささやかな「偶然」にどれだけ対応できるか。
それに気づける感覚やすぐに反応して行動できるスキルをもっと磨かないといけないと思います。
「カメラは身体の一部」とはよく言いますが、ただカメラの機動性に頼るのではなく、最早まるでカメラと身体が一体となっている如く、スムーズに反応から行動へ移せるようになると"良い写真"が撮れる可能性が高まるのではないか。
「場数を踏む」とか「経験値」とは、その為にあるのではないかと思います。

今はその気づきを証明する為に、ある意味実験として撮っている最中です。
一定の結果が出たらまた報告してみます。