夏に沖縄に1週間ほどいた時、大学の講義も終わってまだ明るい夕方に、海に足をつけにいこうと思い立った。昼間の灼熱を海に返すような風が心地よかった。宿泊先から1番近い海岸公園に向かって歩いていると、歩道の小さな段差に躓いてしまった。同時にビーチサンダルが少し先に飛んで行った。スニーカーで来ればよかったかなと思いながらけんけんで拾いに行くと、鼻緒がぷつりと切れてしまっていた。

 なんとか修理しようと思って、すぐ傍のセメント造りの花壇に腰掛けた。とれた部分がなかなか穴に嵌らない。花壇にはオレンジのような赤いような花が咲いていた。ふと、花と同じ色の毛虫が100匹ほど蠢いているのに気づいた。大所帯だった。他に近くに座れるようなところはないし、地面にうずくまるわけにもいかないので、修理は断念して部屋に戻る。もうビーチサンダルは使い物にならない。裸足にコンクリートが痛かった。さっきの花壇では、毛虫が花を染めているのか、花が毛虫を染めているのか、どっちなんだろうと思いながら帰った。

 結局日程も合わず、海を眺めることは出来ても、足をつけることはできなかった。泊まっている部屋の窓からは那覇の港が望めたが、特大の豪華客船が停泊していてあまり見えなかった。でも、佐喜眞美術館の屋上で普天間基地の先に少しと、平和公園の断崖からは見下ろすことはできた。すごく青かったのを覚えている。戦争のときも、爆撃音と爆撃音の間に、同じさざ波の音がしたのだろうかと考えた。同じかどうかはわからないが、同じだったかもしれないと思いながら録音をした。丸木位里・俊の沖縄戦の図に描かれた、海に沈んだ無数の身体を思い出す。私は何をしにきたのか。鼻緒が切れたのは、海に、おまえはまだだ、と拒まれたからなのだと思う。