2023年もよく生き延びることができた、と思う。

職場の構造にたくさん思うところもあった。
残酷な言葉や嘲笑もたくさんあった。
それでも軽やかに生きようと心がけた。
軽やかに生きるようとする心がけが自分にとって社会と折り合いをつけていくためのひとつの処世術だと思っている。
ときどき帰りの電車のなかで反芻して、肩を落とすこともあったけど、それでも朝になればリセットしてまた似たような一日へ向かう。

来年は小さな違和感や居心地の悪さを言語化していこう、自分を労わろう。

一方で、小さな幸せもたくさんあった。

好きで見たかった建物や空間に訪れたこと、
海をよく眺めたこと(カメラのレンズにラップをまいて撮るとひかりが乱れてきれいだよ)、
sizzlerのサラダバーはとても幸せな気持ちになれること、
ミュージックビデオのロケ地になってたダイナーにいけたこと、
サンリオピューロランドにいけたこと、
初恋、ざらりに出会えたこと、
例年よりもたくさん映画を観たこと、
顔も名前もしらないひととお互い似合う花束を持ち寄って京都の鴨川で待ち合わせしたこと、
千葉までレンタカーを借りてひとりでドライブしたこと、

今年も春は眩暈がするほどうつくしく短い季節だったこと、

こうして並べるとたくさん幸せなことがあったし、思い出はすべて小さな宝石のように、たしかにうつくしかったこと。

どこかで雪がしんしんと降っている、きっと。

人と会って話したり、電話で話したりするのもすきだし、たのしいけど、
言葉や文字でしか享受できないあたたかさややさしさがあるよ。

来年もたくさんうつくしいことに出会えますように。おやすみなさい。